【小さな旅】広島県江田島の牡蠣は秋からが旬!牡蠣島の牡蠣養殖と江田島焼きが紹介されました

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2019年11月10日NHK放送の小さな旅の牡蠣島の秋〜広島県江田島市〜について放送されました。

江田島「牡蠣島」の牡蠣

広島の港からフェリーで30分。
見えてくるのは瀬戸内海に浮かぶ江田島と能美島です。

江田島には海上自衛隊の幹部候補生を育成する学校があるので
白い制服を来た若い男性が多く道を行き交っています。

明治から終戦までは、海軍兵学校が置かれていて
山本五十六も卒業生になるそうです。

海上自衛隊の「カッター訓練」は島の名物なんだそうです。

江戸時代から続く広島名物の牡蠣

広島名物の牡蠣、中でも江田島は全国一の生産量を誇ります。
クリーミーで濃厚な江田島の牡蠣は、解禁を迎えた秋
収穫の真っ只中です。

いまは穏やかな街ですが、時代に翻弄された時期もあり
切実な思いがあったんだそうです。

江田島の牡蠣に隠された歴史

呉や宇品など軍の港に囲まれていた江田島は
海での漁を厳しく制限されてきました。

戦後ようやく解放された海で、地元の漁師さんたちは
筏船で牡蠣養殖に活路を見出そうとされたそうです。

牡蠣の養殖業を営む門林一人さん(41歳)の父、晋作さんも
工場勤めを辞めてまだ幼かった一人さんを背負い、
筏船を回る下働きで一生懸命一人さんを育ててくれたそうです。

江田島の牡蠣のシーズンは秋

朝5時、日の出とともに船で牡蠣漁に出かけます。

高校を卒業した一人さんは家電メーカーなどで働いた後、
江田島に戻りお父さんの家業を継ぐことにされました。

33歳の時にようやく漁業権を得て、牡蠣の養殖に取り組み始めましたが
そこは海の自然が相手。一筋縄ではいかなかったそうです。

今年2月に吊るした牡蠣は身がまだ不足していて
1月に吊るした牡蠣は身が十分についていました。

牡蠣を太らせるには、栄養の豊富な場所へ筏を何度も
移動させなければならず、試行錯誤の連続なんだそうです。

筏に吊るすこと11ヶ月。
大きく育った牡蠣を収穫していきます。

一人さんのお話では、牡蠣を育てるのは毎回違っていて
毎年1年生からのスタートなんだそうです。

来年の収穫の準備

筏小屋にはホタテ貝の殻を重ねたものに牡蠣の「種」、
牡蠣の稚貝をつけたものが大量に用意されています。

稚貝を大きく育てるために、貝殻と貝殻の間のパイプの幅を
大きくしていきます。

お父さんの代から培ってきた通し替えの技術になります。

筏に吊るしてから11ヶ月間、水揚げするまで地道な作業を
行っていきます。

筏の通し場には、一人さんの次男の恭平くん(6歳)、
長女の佑美さん(18歳)、長男の晃平くん(14歳)がいました。

土日の休みはお子さんたちもお手伝いします。
佑美さんと晃平くんは手つきがプロです。

晃平くんはとても楽しそうに筏で作業をされていて
こうして父から子へ受け継がれていくんだなと感じました。

江田島焼きは牡蠣の殻を陶芸の釉薬に使う

江田島の浜辺で牡蠣の殻を拾っていたのは
陶芸家の沖山努さん(54歳)。

興味のない人にとっては牡蠣の殻はゴミですが、
沖山さんにとってこの浜辺は宝の山なんだそうです。

沖山さんが焼き物に牡蠣殻を使うのには、江田島への
強い思いがあります。

幼い頃から江田島の浜辺で遊ぶのが大好きだった沖山さんは
美術大学を卒業後、焼き物の本場京都や信楽で修行をされます。

25歳の時に体調を崩されたお父さんの面倒を見るために
島へ帰ってこられました。

そしてトラック運転手のかたわら、窯を開かれたそうです。

産地でもない場所で窯を開いて何になるのという
周囲の心無い言葉に自信をなくした時期もあったそうで

私が作る理由はない
ここで焼く理由もない

あきらめかけていた40歳のときに、知人から
「牡蠣殻が使えるんじゃいか」

と言われたことがヒントになり、牡蠣殻を使った江田島焼きの
研究を始められました。

牡蠣殻の使い方は

灰にして水に溶かした釉薬を土肌に馴染むよう
濃さを変えていきます。

これを霧吹きで器に吹き付けていきます。

こうすることで釉薬がはがれにくくなり、趣のある風合いに仕上がります。

こうして沖山さんが10年かけて作り上げた江田島焼き
渋みと風格のある色合いで、郷土への思いと牡蠣殻が醸し出す深い味わいが
感じられるものになっています。

まとめ

江田島の小さな旅、一生懸命仕事を追求されている
一人さんと沖山さんの物語と、島の美しくて素朴な風景に
とても癒されました。

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